樋口黎選手がパリ五輪のレスリング男子57キロ級で金メダルを獲得しました。
そんな樋口選手は東京五輪では失格となり、出場できなかった過去があり、8年ぶりの五輪出場で、リオ銀からパリ金へと成績を挙げています。
樋口選手の過去と今日までの軌跡が気になります。
本記事では樋口選手の人物や周囲の方の関係などもフォーカスし、内容をお届けいたします。
- 36年ぶりの金メダル、日本通算200個目の金メダルを獲得した「樋口黎選手」
- 「樋口黎選手」の人物(プロフィール、学歴、経歴、結婚など)
- 偏食と減量
それでは本記事をお楽しみください。
金メダルを獲得した樋口黎選手
8月9日に樋口黎選手が、パリ五輪の男子レスリング57キロ級で、金メダルを獲得しました。
樋口黎選手は、過去に「リオデジャネイロ五輪」で「銀メダル」を獲得しておりましたが、再び、8年越しに「金メダル」に返り咲きました。
決勝では、アメリカ代用のの「リー」と激闘の末、「4-2」で競り勝ちました。
インタビューでは8年越しの金メダルということもあり、「簡単ではなかった」とコメントしています。
「簡単な道のりではなかった。自分が絶対金メダルとれると思って信じてやってきた」
金メダル獲得後、「応援してくれた方々がいてくれたおかげの金メダル」、「僕一人で取れた金メダルではない」などと感謝の言葉を語っていました。
樋口黎選手のサポートをしてくれた方々やエピソードがあったのか、気になりますね。
今回の金メダルは、男子フリーの最軽量級制覇は1988年ソウル五輪48キロ級の「小林孝至」以来36年ぶりです。
また、樋口黎選手の金メダル獲得は、日本勢の夏冬通算200個目の金メダルです。
実は3年前の2021年の東京五輪では、アジア予選で「50g超過」で計量失格し、代表を逃す過去がありました。
その悔しさを糧に、減量について勉強し、2大会ぶりに五輪のマットに帰ってきて優勝しました。
日体大の同期の「文田健一郎」選手が8月6日に、先に金メダルを獲得しており、刺激を受けた模様です。
そんな苦労人の樋口黎選手ですが、どのような人物なのでしょうか。
どんな人物?学歴、経歴、プロフィールは何?
樋口黎選手がどのような人物なのか、見ていきましょう。
プロフィール
まずは簡単にプロフィールをまとめてみました。
- 氏名:樋口黎(ひぐち れい)
- 生年月日:1996年1月28日
- 年齢:28歳(2024年8月現在)
- 出身地:大阪府茨木市
- 身長:164cm
- 体重:65kg
- 血液型:非公開
樋口黎選手は、幼稚園では喧嘩をしても負けて帰って来るような子供だったそうです。
喧嘩っ早い感じですね!
幼稚園の頃は、とても運動神経が悪く、スキップも鉄棒もできませんというエピソードが見つかりました。
レスリングといえば、運動神経が良いように感じますね!
樋口黎選手は、「お菓子好き」として知られ、フランスを代表する焼き菓子「マカロン」が大好物。
リオ五輪後に階級を上げましたが、結果は出ず、再び57キロ級での東京五輪を目指したが、出場はできませんでした。
東京五輪は減量に失敗して出場できなかったのですよね。
57kgが自身のレスリング選手としてはベストなパフォーマンスのようですが、甘党の樋口黎選手にとっては、本心では階級を挙げたいようですね。(減量苦)
これは、「減少に苦戦」ということで、「食」との関係が深いですね。
学歴
小中高の学歴をまとめました。
- 中学:茨木市立西陵中学校(大阪)
- 高校:霞ヶ浦高等学校(千葉)
- 大学:日本体育大学体育学部(東京)
出身は大阪であるため、小学校も大阪のどこかになります。
出身中学校の学区には、「春日丘小学校」、「沢池小学校」、「穂積小学校」、「西小学校」の4校がありますので、これらのどこかの出身であると思われます。
中学校まで大阪で、高校から千葉で生活を過ごしました。
樋口黎さんの地元は大阪ですが、霞ヶ浦高等学校のレスリング部の監督からスカウトされ、遠く離れた茨城県にある高校に進学を決めました。
奥様とは、この上京をきっかけに出会い、結婚します。
大学は、日本体育大学のレスリング部に所属します。
日体大レスリング部は、創部70年以上の歴史、大学選手権で優勝しているレスリングの名門校、ロンドン五輪のレスリングで銀メダルを獲得した太田忍と同じ大学です。
経歴
レスリングを始めたきっかけは、コーチをやっている父の影響で「4歳」から始めました。
教室は、大阪府吹田市にある「吹田市民レスリング教室」。
父は、堺市にある「ジュニアレスリングクラブ」でコーチをしていましたが、樋口黎選手は、自宅からの通いやすさで「吹田市のクラブ」に入りました。
樋口黎さんは、全国少年少女レスリング大会に出場し、「5度の優勝」、才能を見抜いていた「霞ヶ浦高校」のレスリング部の監督は「日本一にしてあげる」とレスリング部にスカウトしたそうです。
すでに、小学校の時に高校レスリング部から目を付けられていたのですね。
実は、樋口黎選手は、中学校にはレスリング部が存在していなかったため、「リベラルキッズレスリング」というクラブで練習を行ってきました。
小学生までは「吹田市のクラブ」、中学からは「リベラルキッズレスリング」へ通っていました。
茨城県の高校に進学しましたが、高校に入ると1年生の間は成績が伸び悩み思うような結果を残せずに苦しみました。
2年生になるとついに才能が再び開花し、国体・インターハイ・全国高校選手権を連覇、6冠を達成し、国内では敵なし状態になります。
そして、名門「日本体育大学」に進学します。
大学2年生の時に全日本選抜に出場しますが、「体重超過」で失格!
原因は、「極度の偏食家」で肉・魚中心の食事が体重管理に失敗したことが要因と言われています。
大学生の時に、東京五輪でも経験する減量苦に悩まされていたのですね。
その後、全日本選手権には無事に出場し、「優勝」を決め、リオ五輪予選への出場権を獲得。
大学三年生の20歳で出場したリオ五輪では、準優勝で銀メダルを獲得する成績を収めました。
その後、さらにU-23の世界選手権や全日本選抜選手権で優勝するなどの結果を残し続けました。
2021年4月、東京五輪の出場権のかかるアジア予選が開催されましたが、「50gの超過」で「軽量失格」となり、試合に出場できませんでした。
国内的なし状態であった樋口黎さんですが、「偏食家」という弱点があり、出場できずにパリ五輪では大きく活躍を見せたということになりますね。
家族
樋口黎さんのご家族は、両親と妹の4人家族です。
一家全員が「レスリング一家」です。
父はレスリングのコーチです。
母はレスリングは未経験でしたが、除々にレスリングにハマっていき息子に指導するようになりました。
樋口黎さんは、母を練習台に技の練習をすることもあり、母はむち打ちになったこともあったといいます。
妹もレスリングをやっており、インターハイで3位になるなどの成績を残しています。
結婚は、2023年5月21日に、「優貴さん」と結婚しました。
優貴さんのプロフィールを以下にまとめましたが、元レスリング経験者です。
- 出身:千葉県
- 生年月日:1995年7月1日生まれ
- 経歴:3歳から姉の影響でレスリングを始める
- 高校:東京・安部学院高等学校(女子レスリング部)
- 大学:京都・同志社大学レスリング部
旧姓は「田辺優貴」さんですが、高校3年生の時には46kg級でインターハイ優勝を果たすほどの実力者です。
樋口選手と優貴さんの出会いは、なんと高校生の頃で、樋口選手が千葉の高校に進学したことがきっかけです。
レスリングの会場で出会い、そこから長い恋愛が始まり、10年以上も愛を育んできました。
大学時代は「東京」-「京都」で遠距離恋愛だったのですね。
金メダル獲得後、サポートしてくれた妻に感謝を伝え、妻にメダルをかけてあげていました。
奥様も涙を流していました。
「奥さんに金メダルかけてあげるシーンほっこりした」「お辞儀してて可愛かった」「インタビュー途中で奥様を発見して話も忘れて」「奥様ボロボロ泣いてて(泣)」「もらい泣きした」「奥様にかけてあげるシーンが素敵だった」「なんて素敵な旦那様」
2024年2月に長女の「凪(なぎ)」さんが誕生しています。
子供のために、パリ五輪では金メダル獲得に全力を尽くしていたのですね。
偏食と減量
樋口選手にとっては減量と偏食は切っても切れない関係のようです。
樋口選手はどのようなエピソードを持っているのでしょうか。
減量エピソード
樋口黎選手は「マカロン王子」という愛称で知られ、「野菜が大嫌いな偏食王」です。
中学生の時にスターバックスでマカロンに出会い、その味にハマったそうです。
独身の時には「私生活ではだらけたり、甘いものに妥協したり」していたそうです。
そのため、東京五輪では減量が原因で出場できなかったのかもしれません。
結婚後は、奥様が食事面でのサポートをされ、改善されているようです。
しかし、食事の調理は樋口選手の担当のようです。
家事は平等ですからね。
主に、「低脂肪」、「低糖質」の献立を中心にしているようです。
樋口選手が「減量に入ると僕はどんどんやせて、妻が太ります」とインタビューで言っています。
金メダル獲得の裏には「樋口黎選手の弱点」を補った奥様の存在が大きかったのですね!
減量の気持ちがわかる、ビネシュ選手へエール!
金メダル獲得後、樋口選手は女子50キロ級で須崎選手を倒しながらも重量オーバーで失格となったインドのビネシュ選手にエールを送っていました。
「気持ちは僕が一番痛いほど分かる。ただ試合で負けた後であったり、東京の時の失敗で挫折や絶望を凄く味わった後というのは、そこからが大事だと思っている。これはスポーツだけではなくて、普段の仕事や勉強や人間関係でも絶望ってのはあると思うんですけど、そこからいかにして立ち直るか、次の目標に向かうかで、成長できるか否かが決まると思う」と自身の経験を踏まえエールを送った。
まさに、東京五輪での失敗を糧にパリ五輪で金メダルを獲得した樋口選手ならではのエールです。
ビネシュ選手は、失格後に自身のXで「心が折れた」と引退を示唆し、9日には銀メダル授与を求めてスポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴している模様ですが、自身に向き合って、次の五輪でのリベンジを果たすような4年間にしてほしいですね。
ビネシュ選手は減量で血まで抜いたそうですが、アスリートの減少は過酷すぎかもしれませんね。
まとめ
今回は、パリ五輪の男子57キロ級で金メダルを獲得した樋口選手がどのような人物であるか、金メダルの背景には何があったのか、調べてみました。
樋口選手は高校の時に千葉へ上京し、奥様と出会い、減量難を乗り越えてきました。
東京五輪では失格となり出場できませんでしたが、再び五輪に舞い降り、金メダルを獲得されました。
減量で失格となったビネシュ選手も、乗り越え、再び五輪に舞い降りてほしいですね。
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