【パリ銅】宮脇花綸は東京五輪落選の過去!父はフェンシング専務だった! 

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銅メダルを獲得した日本女子代表
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日本女子フェンシング団体が「銅メダル」を獲得し、その立役者の「宮脇花綸」選手の経歴がたくさん調べられているようです。

今回は宮脇花綸選手の「落選」の意味が今回のパリ五輪のメダル獲得に関係している件について内容をお届けいたします。

  • 宮脇花綸の「落選」?
  • 宮脇花綸のプロフィール・経歴
  • 宮脇花綸は東京五輪に落選!
  • 父は元「フェンシング専務」
  • パンダと言われていた「日本」の脱却

それでは本記事をお楽しみください。

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目次

宮脇花綸出場の日本女子フェンシング団体「銅メダル」獲得!

8月1日のパリ五輪のフェンシング女子フルーレ団体の3位決定戦にて、日本はカナダを「33―32」で下して「銅メダル」を獲得しました。

出場選手は、「東晟良(あずま せら)」、「上野優佳(うえの ゆうか)」、「菊池小巻(きくち こまき)」、「宮脇花綸(みやわき かりん)」です。

今回、フェンシング女子はみなさん「かわいい」と話題ですが、中でも「宮脇花綸(みやわき かりん)」が「かわいい」と話題です。

さらには、メディアなどにも出演するなど、話題の「フェンシング女子」です。

宮脇さんは、過去に「ももくろ17枚目のBLASTのMV」にも出演したことがあるそうです。

さらには、クイズ番組(日本テレビ『クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?』)にも逆オファーで出演し、見事賞金をゲットするなど、頭も賢く、美人の宮脇選手です。

https://twitter.com/TmrbeD7IAec0QQj/status/1583426996675047427

そんな注目の宮脇選手も本業の「フェンシング」でパリ五輪で「銅メダル」を獲得されました。

しかし、宮脇選手のことを調べようとすると、なぜか「落選」というキーワードも出てきます。

宮脇選手の落選に検索が集まっていますので、内容をまとめてみました。

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宮脇花綸は東京五輪に落選!父はフェンシング専務

「宮脇花綸」x「落選」の意味は何なのでしょうか?

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宮脇花綸のプロフィール・経歴

まずは、その謎について迫る前に「宮脇花綸」さんのプロフィール・経歴を簡単におさらいしましょう。

  • 氏名:宮脇花綸(みやわき かりん)
  • 生年月日:1997年02月04日
  • 出身:東京都
  • 年齢:27歳(2024年7月現在)
  • 血液型:O型
  • 身長:161cm
  • 体重:54kg
  • 趣味:お菓子作り、小説(中でもミステリーが好き)、ドラム
  • 家族構成:父(宮脇信介)、母、姉(真綸)
  • 小学校:東洋英和女学院小学部
  • 中学:東洋英和女学院中学部
  • 高校:慶應義塾女子高校
  • 大学:慶應義塾大学経済学部
  • 所属:三菱電機(2024年4月1日より)

フェンシングを始めたきっかけは、「5歳年上の姉の影響でフェンシングを始めた」とのことです。

スクールは、東京都目黒区自由が丘にある「東京フェンシングスクール」に通ったそうです。

インタビューでは「家から車で10分」ぐらいだったから、ときっかけを答えています。

実家から車で10分の所にフェンシングスクールがありました。姉が先にフェンシングを始め、私はその送り迎えをしている内に気づいたら5歳の時には剣を握っていました。

引用:三菱電機

その姉は実は「剣道」を習いたかったようですが、母が海外版剣道の「フェンシング」を勧め、「妹の花綸」さんまで伝搬し、今日に至るようです。

途中、宮脇さんは、「薬剤師」を目指すべく、「フェンシングをやめよう」と考えていた時期があったそうですが、フェンシング協会の「太田雄貴さん」が継続への説得をし、今日に至るようです。

宮脇さんの経歴は、2014年にユースオリンピックで日本代表に選出され、個人で「銀メダル」獲得、団体も「金メダル」獲得!

2018年には、上海W杯グランプリ大会で、日本人選手として13年ぶりに「準優勝」!

2019年にはマイナビに入社し、2023年4月に「三菱電機」に転職しました。

三菱電機 トップアスリート「宮脇 花綸」(フェンシング フルーレ)

2024年にパリ五輪の代表メンバーに出場し、8月1日に団体戦で「銅メダル」を獲得しました!

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宮脇花綸は東京五輪に落選!

結論をいうと、「宮脇花綸」x「落選」の意味は、「東京五輪出場選手に落選」していたという過去があったため、経歴を調べられ、検索が増えているのではないでしょうか。

ジュニアの時から輝かしい経歴を収めてきましたが、宮脇選手は、実は「リオデジャネイロ、東京両五輪には出場できなかった」苦労人です。

東京五輪の落選は非常に辛かったようです!

三菱電機のオフィシャルサイトのインタビューの中で、「これまで一番辛かったことは?」という質問に対して

「東京オリンピックで代表メンバーに入れなかったこと。」と答えています。

引用:三菱電機

この落選が宮脇選手にとって、バネとなり、練習に励み、パリ五輪に望んだようです。

東京五輪の代表落選後は、「下がりの防御の改善。五輪メンバーの相手になれるように」。と意識して練習し、W杯ドイツ大会で個人、団体共に銅メダルを獲得し、18年5月以来の国際大会での個人表彰台に登りました。

そして、パリ五輪に出場し、見事銅メダルを獲得しました。

そんな苦労人の宮脇さんですが、調べてみると、父の「信介」さんはフェンシング協会の理事をされているということがわかりました。

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父は「フェンシング専務」だった

宮脇さんの父の信介さんは、「フェンシング協会専務理事」として太田雄貴会長(当時)を支えてきました。

宮脇信介さんの学歴は、1984年に「東京大学経済学部を卒業」です。

就職先は、「日本興業銀行(現:みずほ銀行)」、「興銀第一ライフ・アセットマネージメント」という経歴の持ち主です。

アメリカにも留学し、米国カリフォルニア大学バークレー校にて「MBA」を取得し、帰国後、2000年以降はブラックロック等「外資系運用会社」に勤務し、エリート街道をまっしぐらです。

2017年からフィンテック企業のSasuke Dinancial Lab(株)の経営に参画し取締役を務めていました。

では、なぜ「フェンシング協会の理事」になったのか、その馴れ初めは不明ですよね。

実は「父の信介さん」のフェンシングとの出会いは、「娘の影響でフェンシングを始めた」ことがきっかけでした。

娘の影響で「フェンシングを覚え始める」なんて、とても前向きなお人柄な印象を持ちますね。

娘の影響もあり、フェンシングを始め、さらにテニスサークルで知り合った「山本正秀」副会長から「フェンシング協会を立て直してほしい」と相談を受け、依頼をもらったそうです。

2014年にフェンシング協会の常任理事に就任し、2021年まで専務理事を務めました。

ちょうど、東京オリンピック開催の年、2021年に退官されておりますので、娘の宮脇花綸さんの出場には影響がなかったものと推測できます。

今回の宮脇花綸選手のパリ五輪出場、銅メダル獲得は実力でもぎ取った栄誉なのですね!

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パンダと言われていた「日本」の脱却

日本女子フェンシングは「パンダ」と呼ばれており、「かわいさ」を含めての表現と思われますが、侮辱のような意味がこもって言われていました。

今回銅メダル獲得によりパンダを「脱却」することに成功しました。

ボアダン・フランクコーチは、2017年1月に就任し、最初に選手たちに残酷な現実を告げました。

「君たちはどう呼ばれているか知っているか? 『パンダ』と言われている。かわいらしい集団だってね」  母国フランス代表のコーチも務めていた。対戦国から見た女子日本代表は「怖くない」。競っていても最後には勝てる―。闘争心、アグレッシブさに欠けていた。コーチは言う。

中日スポーツ

つまり、相手にとって脅威がない、強い相手ではない、という意味でした。

今回の銅メダルは、7年かけ、日本は世界からの評価が一転しました。

その背景には、「宮脇選手」の苦労・努力や、フェンシング協会の立て直しなどもあり、宮脇一家の貢献は大きいものではないでしょうか。

パリ五輪で、男子「金」、女子「銅」と、日本のフェンシングが強いことが日本、世界に認知されたものでしょう。

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まとめ

日本女子フェンシングがパリ五輪で銅メダルを獲得し、その選手である宮脇選手の経歴に関する内容をお届けいたしました。

宮脇選手選手は、東京五輪では「落選し」、パリ五輪には強い意思でメダル獲得を狙い出場されていました。

宮脇選手の父も「フェンシング協会の理事」を務めており、今回の銅メダルに貢献しています。

今後日本のフェンシングがよりメジャースポーツとなり、常勝国として地位が確立されればよいですね。

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