早田ひな選手がパリ五輪から帰国し、「特攻資料館に行きたい」と発言し、中国、韓国が反応し、話題となっています。
しかし、「アンパンマンミュージアムに行きたい」という発言は炎上せず、あまり注目がされていません。
今回、アンパンマンミュージアムと特攻資料館には繋がりがあり、早田選手の意図が汲み取れていいない可能性があり、関心が寄せられています。
本記事では、「アンパンマンミュージアムに行きたい」発言の一貫性について調査した内容をお届けいたします。
- 早田ひな選手は「特攻資料館」と「アンパンミュージアム」に行きたいと発言!
- アンパンマンはやなせたかし氏の「戦争経験」を元に作られた。
- 弟が神風特攻隊だった?最後の言葉がアンパンマンに強くインスパイアされている。
- なぜアンパンマンミュージアムでポーチを作る?
それでは、本記事をお楽しみください。
早田ひなの行きたいところは「特攻資料館」と「アンパンミュージアム」!
早田ひな選手は、パリ五輪から帰国後の発言で、中国、韓国共に炎上しています。
早田ひな選手の微博をフォローしていた中国のメダリスト「樊振東」選手や「孫穎莎」選手がそれぞれフォローを外し、国家間の問題に発展しそうな状況が話題となっています。
そんな早田ひな選手の発言で注目されているのは「特攻資料館に行きたい」という発言に注目されておりますが、実は他にも行きたい場所を発言しています。
早田ひな選手は
一番やりたいことは「アンパンミュージアムにいってポーチ作ること」と、「知覧の特攻資料館にいきたい」
と語っています。
実は世間では「アンパンマンミュージアムでポーチを作ること」という発言が、「普通の今どき女子」っぽいと世間ではスルーされ注目されていません。
が、実が「特攻資料館に行きたい」という発言が繋がっているのではないか?と話題になりつつります。
今回は、「アンパンマンミュージアムでポーチを作ること」と「特攻資料館に行きたい」の言葉の裏の繋がりとは何のでしょうか?
今回、ある仮説のもと繋がりを記載しましたので、どうぞお楽しみください。
早田ひなの行きたい「特攻資料館」と「アンパンミュージアム」は関係している!やなせたかし氏の弟が神風特攻隊で戦死していた?
早田ひな選手の「特攻資料館」に行きたい発言に注目を集めておりますが、何やら「アンパンミュージアム」にも「特攻資料館」と繋がりがある説が見つかりました。
アンパンは作者「やなせたかし氏」の戦争経験を元に作られた、特攻隊の弟をイメージ?
アンパンの生みの親は「やなせたかし」さんです。
アンパンは、やなせたかし氏さんの「戦争体験を元に作られたアニメ」です。
余談ですが、やなせたかしさんが終戦宣告を受けたのは、「上海郊外」で終戦を迎えたとのことですが、その時に
「戦争はとにかく腹が減る。人間いちばんつらいのはおなかが減っていることなんだ」
と言っています。
そのため、アンパンマンで描こうとしたことは、アンパンマンが自分の顔を削り、自分の顔を食べてもらうことで元気になってもらうという行為に深い意味が隠されていました。
やなせさんは「僕がアンパンマンの中で、描こうとしたのは、分け与えることで飢えはなくせるということです」
つまり、「自分を犠牲にして誰かを支えていく」という形を伝えていました。
実は、調べてみると、やなせたかしさんは「弟」を神風特攻隊で戦死されている、とされています。
弟さんは、まさに「自分の実を捧げ、日本国を守ろう」とされていたのですから、やなせたかしさんに大きな影響を与えたのが想像できます。
そして、実は『アンパンマンのマーチ』は、弟に捧げられたものと考える人もいます。
おそらく、アンパンマンマーチの歌詞は、弟が戦死する前、最後に言葉を交わした記憶が深く関わって作詞されている、と考えられます。
弟と交わした最後の言葉とは
「僕はもうすぐ死んでしまうが、兄貴は生きて絵を描いてくれ」
という言葉のようです。
以下がその最後の言葉が記載された資料になります。
「君が海軍特攻隊を志願したとき運よくぼくらは一度だけ逢えた。『ぼくはもうすぐ死んでしまうが兄貴は生きて絵を書いてくれ』手をにぎりあいぼくらはわかれた」 (『やなせたかしおとうとものがたり』)
つまり、「兄貴は自分の夢をどうか叶えてくれ、自分は死ににいく」という意味で、弟さんは「自分を犠牲にして兄を生かし、行きた兄が夢のために行きていってほしい、という想いが込められています。
そして、アンパンマーチを見てみると、生きる喜びをテーマに「生きる」ことを強く意識した哲学的な歌詞になっています。
(仮)アンパンマンは、もしかすると、やなせたかしさんの「弟」をイメージしているのでしょうか?アンパンマンが顔をあげてお腹を満たさせている姿は、神風特攻隊を想起させる行動とも取れるかもしれませんね。
やなせたかしさんのアンパンマンマーチには、弟の特攻隊としての死が色濃く表現されたようにも解釈することができるかもしれません。
早田ひなの「アンパンミュージアム」と「特攻資料館」に行きたいは同義語
アンパンミュージアムに行き、「やなせたかし」さんの戦争体験を元に作られたミュージアムで、現在卓球ができる状況や時代であることに感謝
そして、「生きることの喜びや意味」を再認識し、特攻資料館では歴史背景を学ぶのは、早田ひな選手の行動に一貫していると思われます。
アンパンミュージアムでポーチを作りたいというのは、そのポーチを身につけることで日常的に意識し、当たり前と思わないよう、成長するために、「自身の手で作る」ということではないでしょうか。
早田選手はトップアスリートとして、今後も成長していくものと思われますし、深く考えての発言だったのだと尊敬です。
あくまで仮説ですので、本当の真意はわかりませんが、早田選手の今後について注目ですね!
まとめ
早田ひな選手の「特攻資料館に行きたい」と「アンパンマンミュージアムでポーチを作りたい」は繋がっている可能性があります。
早田ひな選手が卓球で戦えているのは、歴史上の先人のお陰で現在豊かな生活ができていると感じ、「アンパンマンミュージアム」にも足を運ぼうとされていたのかもしれません。
今後も早田選手の行動や言動を深く分析していく必要がありますね。
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